大阪地方裁判所 昭和28年(ワ)34号 判決
原告 木村順次郎
被告 近藤綾子
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は「被告は原告に対し大阪市東区竜造寺町二三番地上木造瓦葺二階建家屋一棟一戸の階上六坪を明渡し且つ昭和二十七年八月一日より右家屋明渡に至る迄一ケ月金千円の割合による金員の支払をせよ、訴訟費用は被告の負担とす、」との判決並に仮執行の宣言を求め、その請求原因として、
原告は被告に対し前記家屋を賃料一ケ月千円とし毎月末日翌月分を持参払の定めで賃貸していたが、被告は昭和二十七年八月分より同年十二月分迄の賃料を支払はないので、同年十二月三十一日被告に到達の書面を以て、延滞賃料五千円を三日間内に持参支払うこと、右不払のときは賃貸借契約を解除する旨の催告並に条件付解除の通告をしたが、被告は右期間内に支払はなかつたから、昭和二十八年一月三日の経過により本件家屋の賃貸借契約は解除となつた。
尚右賃貸借を解約につき正当の事由があるから、原告は前記昭和二十七年十二月三十一日到達の書面を以て併せて解約の申入れをなしたから右解約による賃貸借の消滅を予備的請求原因として主張する。即ち、本件家屋の階上には被告が、階下には訴外千葉キクが夫々居住しているのであるが、階上には炊事台、流し台の設備があるところ、被告は故意に流し台の水槽以外に水を流すため階下の座敷に滴落するというので、昭和二十七年八月頃原告は現場に臨んでその痕跡を指摘し注意を与えたが被告はその行為をやめないのみか滴落する水量が増すため、階下の千葉キクは座敷を使用することができず、常に数枚の畳を上げて壁際に立掛けている状態である。被告は又その頃東警察署に出頭して原告が闇家賃を徴しているから処罰してもらいたいと申告し、続いて本件家屋の所有名義が訴外本山敬二郎であるのを見て、本山からは賃料を請求したこともないのに進んで本山に賃料を支払い、且つ階下の千葉キクに対し本件家屋は本山敬二郎の所有であるから賃料は原告に支払つてはならぬ、自分が本山から賃料取立の依頼を受けているから自分に払えと申し告げて、千葉キクの賃料の支払を妨害し、更に近隣の人々に対し、原告は借金が払えないので家屋は債権者に取られた、近いうちに家屋明渡の執行をうけるのだと触れ廻つて原告の名誉信用を著しく傷けた。一方被告は単身の女であつて、定職なく、妾として生活しており、しかも家屋移転費の如きは所謂旦那と称する男より容易に支出を受けられる境遇にある。而して被告は数ケ月前から本件家屋より一町程離れた谷川行由方二階に移転し同所で寝泊りして本件家屋には家具類を置いているに過ぎない。以上の如き被告の行為並に事情は、賃貸人たる原告の信頼を裏切り、故意に原告の名誉を傷けるもので、将来に向つて賃貸借を継続することができず、原告において賃貸借を解約するにつき正当の事由がある。
仮に前述の賃料不払に因る賃貸借契約解除の意思表示が効力を生じないとしても、被告に対する昭和二十七年八月分より昭和二十九年三月分迄の賃料の催告並に右賃料の不払を条件とする賃貸借契約解除の意思表示を公示送達の方法によつて為すことにつき大阪簡易裁判所の許可を得て、右意思表示の公示は昭和二十九年四月二十日大阪市東区役所の掲示場に掲示されたが、被告は支払期間として指定した三日間内に延滞賃料の支払をしなかつたから、同年五月八日原被告間の本件家屋の賃貸借契約は解除せられた。よつて右解除を原因として本件家屋の明渡を求める、
と述べ、被告の答弁に対し、
被告は本件家屋の所有権が原告にないことが判明したので所有者本山敬二郎に賃料を支払つたと主張するが、本件家屋の所有権は引続き原告にある。原告は訴外越智善太郎が本山敬二郎より金借した際その保証をなし、右債務の担保として本件家屋の権利証と委任状を右本山に預けておいたところ、本山は原告に無断で所有権移転登記をしたものであつて、右移転登記は無効である。且つ右債務は債務者及び原告から全額弁済している。然るに本山は所有権移転登記の抹消登記手続をしないので、同人を相手方として所有権移転登記抹消登記手続請求訴訟を提起したが、其後昭和二十八年八月五日本山は錯誤を原因として右登記を抹消したから、原告は本山に対する訴を取下げたのである。仮に右所有権移転登記が無効でないとしても、担保のため為されたものであるから、本件家屋を他に賃貸する権限はなく、従つて賃料を取得する権利はないから、被告が本山と賃貸借契約をなし同人に賃料を支払つたとしても、原告に対する賃料支払義務は消滅しない、
と述べた。<立証省略>
被告訴訟代理人は主文と同旨の判決を求め、答弁として、
被告は本件家屋の階上を原告から賃借し、昭和二十六年一月頃から昭和二十七年七月まで一ケ月千円の割合の賃料を支払つてきたこと、及び右賃料が統制額を超えないものであることは認める。其の頃被告が本件家屋の統制家賃額を区役所に調べに行つた際、本件家屋は既に昭和二十三年九月二十四日頃訴外本山敬二郎にその所有権が移転しており原告の所有家屋ではないことが判明したので、警察に行き家賃は何人に支払うべきか尋ねたところ、家屋の所有者に支払うのが無難であろうということであつたので、所有者本山敬二郎に面接して同人の承諾を得て昭和二十七年八月一日以降の家賃は同人に支払つている。即ち原告は本件家屋の所有権も転貸権もないのであるから、被告は原告に家賃を支払う義務はなく、原告が賃料の不払を理由としてなした賃貸借契約解除の意思表示は無効である。
被告はもと原告の現住する家屋の離家の二階を賃借しており、本件家屋には原告の叔母木村スエが居住していたのであるが、昭和二十五年十二月二十五日死亡したので、原告は被告に対し、本件家屋に移つてもらいたい、気に入るように修繕するから、と申出でたので、被告は之に移つたのである。然るに原告は炊事場、流し台も修繕しないので被告が修繕をした。昭和二十七年七月頃階下の千葉キクが炊事場を調べさせてくれと言つたので、被告は自分で調べた処流し台に小さい穴があつたので修繕をしたのである。被告は故意に水を流したことはなく、その他原告主張事実は否認する。従つて原告に本件家屋の賃貸借を解約するにつき正当な事由は存しない。
と述べた。<立証省略>
三、理 由
被告が原告から大阪市東区竜造寺町二三番地上木造瓦葺二階建家屋一戸の階上約六坪を賃料一ケ月に付き千円の約定で賃借していたこと、及び被告は昭和二十七年八月分以降の賃料を原告に支払はなかつたことは当事者に争なく、成立に争のない甲第一号証の一、二によれば、原告は昭和二十七年十二月三十一日被告に到達の書面を以て同年八月分から同年十二月分迄の賃料を支払うべき旨の催告並に右不払を条件として右賃貸借契約を解除する旨の意思表示をなした事実が認められる。
被告は昭和二十七年八月分以降の賃料を原告に支払はなかつた理由として、その頃本件家屋は原告の所有ではなく、訴外本山敬二郎の所有であることが判明したから、所有権者でない原告に賃料を支払うべき義務はなく、被告は所有権者である右訴外人に賃料を支払つているから義務の不履行はないと抗争するから、その点の判断をする。本件家屋が登記簿上訴外本山敬二郎の所有名義となつていることは原告の認めるところであり、右訴外人に所有権移転登記が為されたのは昭和二十三年九月二十四日頃であつて、被告が原告から本件家屋を賃借したのは昭和二十五年十二月末か翌二十六年初頃のことであることは弁論の趣旨からみて当事者間に争のないものと認められるから、被告が賃借した当時本件家屋は既に右訴外人の所有名義であつたことは明らかである。ところで原告は右訴外人名義の所有権移転登記は無効であつて原告が所有権者であると主張するが、その真否はさておいて、仮に登記簿の表示通り原告に所有権はなかつたものとしても、凡そ賃貸借は他人の物についても有効に成立し、賃貸借の目的物の所有権が賃貸人に属することは必ずしも必要ではないから、原被告間の本件家屋の賃貸借は有効に成立したものと言うべく、被告が後日に至つて原告の所有家屋でないことを知つたからといつて、それがため当然に原告に対する賃料支払義務を免れる訳のものではない。然し乍ら、被告本人の供述によると、被告は昭和二十七年七月頃本件家屋が訴外本山敬二郎の所有名義となつていることを知つたので、直接右本山に面接した処、本山は原告が本件家屋を転貸していると言つて批難するので、被告は改めて本山から賃借することとなり、昭和二十七年八月以降の賃料は本山に支払つてきた事実が認められる。右事実からみれば、原告が主張するように本件家屋は原告が本山に対し負担する債務の担保として提供したに過ぎないのを、本山が勝手に所有権移転登記をしたものであつて右登記は無効であり、真実本山に所有権は移転していないものと仮定するも、被告が登記簿の表示から本山が所有者であると信じたのは当然であるのみならず、本山が被告にその賃貸を承諾し賃料を徴しているのであるから、被告が、原告には本件家屋を賃貸する権限はなく、本山が正当賃貸人であると考えたことは無理からぬところと言はねばならない。従つて被告が本山に賃料を支払つたことは、債権の準占有者に対し為した善意の弁済として有効とみなければならないから、被告に賃料の遅滞はなく、原告が昭和二十七年十二月三十一日被告に到達の書面を以てなした延滞賃料の催告並に右不払を条件とする賃貸借解約の意思表示は無効と言はねばならぬ。
原告は更に、仮に右催告が不適法で解除の効力を生じないとしても、改めて公示送達の方法により、昭和二十七年八月分以降昭和二十九年三月分迄の賃料の催告並に右不払を条件とする解除の意思表示をしたが、被告は支払はなかつたから賃貸借は解約されたと主張するから検討してみるに、成立に争のない甲第二号証によれば昭和二十八年八月頃には本件家屋の所有名義が再び原告に復したことは認められるけれども、前示の通り被告が訴外本山敬二郎に支払つた昭和二十七年八月分以降の賃料は有効な弁済と認むべきものである以上、原告が昭和二十七年八月分以降の賃料の延滞ありとしてなした催告は、賃貸借契約解除の前提としての催告として不適法である。のみならず、成立に争のない甲第四、五号証によると、右催告は被告の所在が不明であるとして大阪簡易裁判所の許可を得て昭和二十九年四月二十日大阪市東区役所の掲示して為されたものであるところ、被告本人の供述によれば被告は本件家屋に関する紛争に煩はされる心労を避けたいのと、一方病弱の故もあつて、現在香川県酒出市松ノ中山田正二方に一時的に寄寓していることが認められるが、原告が仮に右被告の所在を知らなかつたとしても、右公示送達のなされたのは本件訴訟の撃属中であつて、被告は訴訟代理人によつて訴訟遂行中でありしかも被告訴訟代理人から本人尋問の申請が為されており、早晩被告本人尋問のため被告が当裁判所に出頭することも予想されるのであるから、原告が被告の所在を確知することは必ずしも難事ではなく、斯る事情の下に於ては原告が被告の所在を知らなかつたことにつき過失のある場合に該当するから、民法第九十七条ノ二第三項により、原告が右掲示場に掲示して為した賃料支払催告の意思表示は到達の効力を生じないものである。
次に原告は本件賃貸借を解約するにつき正当の事由があるから昭和二十七年十二月三十一日被告に到達の書面を以て解約の申入をしたと主張するから、正当の事由の有無についてみるに、被告居住の本件家屋の階上の炊事場の流し台の破損から水が階下に漏れたことがあつた事実は証人千葉キクの証言及び被告本人の供述によつて認められるが、原告のいうように被告が故意に階下に水を流したと認められる証拠はない。又原告の名誉を傷ける如き言動があつたことも認められない。其他全証拠を検討してみても本件家屋の賃貸借を継続し難い事由を認めることはできないから、解約についての正当事由を欠くものであつて、原告のなした解約の申入は効力を生ずるに由ない。
以上の通り原告の被告に対する本件家屋の明渡並に延滞家賃金並に損害金の請求は全部理由がないから之を棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 三上修)